威儀即仏法 №156





平成24  8 30

威儀(いぎ)(そく)仏法(ぶっぽう)


 この夏も暑い夏でした。昨年も暑い夏でしたが、今年はまた一段と暑く感じられたのは私だけでしょうか。僧侶になってから一層暑さが堪える気がしますが、それには理由があります。それは着物に衣と袈裟を着けなければならないということです。どんなに暑くても法要や坐禅の時には衣を着てお袈裟を着けなければならないからです。

朝のお勤めの時、見かねたK子さんが何度か「方丈さん、暑くて大変でしょう。楽な恰好なされば」と言ってくれましたが、「ではお言葉に甘えて」とランニング姿になる訳にもいきません。坐禅が何より形を大事にするように、まず形あるいは威儀を整えて後、そこに内実を実現するというのが仏道の一側面なのです。
 
 永平寺は冬は寒く夏は暑いところですが、古参おっさんや役寮さんに伺うと、ほぼみなさん「夏より冬の方がいい」と言います。夏の暑さより冬の寒さの方がまだましというのです。それはやはり衣とお袈裟に由来しています。坐禅でじっと坐っていても腋の下や腕に汗が流れる暑さに比べれば寒さに震える方がずっといいというのです。
 
 それでも衣やお袈裟に拘るのは形を整えることに意義を見出しているからです。それが「威儀即仏法」なのです。威儀というのは行住坐臥です。「即仏法」とは、寝ても醒めても仏道ということです。道元禅師は仏道を学ぶ者は立ち居振る舞い、身に着けるもの、それらがすべて仏法そのものであると言われるのです。
  
 正法眼蔵の「行仏威儀」の巻頭に「諸仏かならず威儀を行足す、これ行仏なり」という言葉があります。西有穆山師はこれを「仏心を心とし、仏衣を衣とし、仏言を言とし、仏行を行とする」とおっしゃっていますが、身と心を整えてこそ修行であり、それがそのまま行仏、仏であるということなのでしょう。
 
 冬は寒く夏は暑い。暑い時に衣を着てお袈裟を着けるのは正直きつい。また体調の優れない時は怠けたくもなります。それは当然。その当然を坦々と越えていくのが「道」なのだと思います。


精進(はげみ)こそ不死の道 放逸(おこたり)こそは死の道なり  ~法句経~

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