畏敬の念 №90

平成23年6月11日

 畏敬の念

(アプレフクシマ①)
 最近、新聞で「アプレフクシマ」という言葉を目にしました。これは戦後流行した「アプレゲール」をもじった言葉です。当時、この言葉は戦後の新しい芸術運動とそれ以前の価値観にとらわれない若者世代を象徴する言葉として使われましたが、アプレフクシマは私たちがフクシマ以後どう生きるかを問う言葉だと思います。私たちが新しい生き方を探り、同時に次の時代を担う若者達が出現してくれることを願って皆さんとアプレフクシマを考えたいと思います。


 さて、私の最初の提案は「畏敬の念」ということです。この言葉、実は小中学校の学習指導要領にも出てくるのですが、残念ながらあまり重視されてこなかった憾みがあります。その点、自分自身慙愧に堪えませんが、様々な点で指導が難しいこともその一因だったでしょう。しかし、いまこそ私たちは一人ひとりがこの「畏敬の念」を取り戻すべきだ
と思います。


 今回の地震と津波で私たちは自然の脅威を改めて感じさせられました。鉄壁を誇った防潮堤も絶対安全だったはずの原発も圧倒的な津波には為すすべもありませんでした。安全を信じたそこに私は人間のおごりがあったのではないかと思います。人間が自然とともに暮らしていた時代、人間は自然の脅威を常に感じ、自然の恵みに感謝の思いを忘れることはありませんでした。

 この地球で暮らす限り私たちはこの地球の自然から離れることはできません。私たちはこの地球という星に生かされているのです。生きているのではなく生かされているに過ぎないのです。

 星祭の意義を考えた時も申し上げたと思います。大いなる存在に対して敬虔なる祈りを捧げ、生かされていることを感謝するのが星祭なのです。私たち人間はその根本において畏敬の念を持たなければなりません。


 畏敬の念は感謝に始まると思います。食べ物への感謝。海山川への感謝。お日さまへの感謝。ご先祖への感謝、等々。それらは生きていること、生かされていることへの感謝です。この命を感謝して生きることが震災や津波で犠牲となった多くの魂への報恩ではないでしょうか。
 


   死は神である 生は神である
   自分は ただ 合掌していればいいのだ
               八木重吉~

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