正しい食事
(アプレフクシマ④)
アプレフクシマに関連して私たちが見直すべきことのもう一つは食生活ではないでしょうか。この日本、飽食と言われて久しくなりましたが、世界には相変わらず飢えに苦しむ人たちが沢山います。私たちはその格差の一方にあってなお飽食を続けているように思います。これをどう考えればよいのでしょうか。何をすればよいのでしょうか。
いま私は「正しい食事」と書きましたが、一体正しい食事なんてあるのかとお思いの方もいらっしゃるでしょう。当然と思います。しかし、私はなお人間にとって正しい食事があるように思います。正しいという言葉が適切でなければ「あるべき」としてもよいと思います。食事とは本来己が身を養うものです。身を養うとは体を健康に保つということです。であれば、そのために相応しい食事があるのではないでしょうか。
修行道場の食事は朝は粥、昼は一汁一菜、夕はそれにプラス一品と決まっています。肉魚を食べることは殆どありません。修行僧はいつも空腹を抱えながら毎日を過ごしていますが、不思議なことにそれでも修行に耐えていけるのです。しかし、これは特別な環境のことですから日常的には難しいことですね。(私の師匠は実践していますが・・)
食事を考えるヒントに「粗食」があります。最近、粗食の大切さが言われるようになりましたが、ここで言う粗食とはご飯とみそ汁、それに一品という昔ながらの食事です。一汁一菜ですがこの場合の一菜は野菜に限らずでよいのです。ただ、その一菜はその土地で取れた旬のものが望ましいですし、ご飯もできれば玄米がよいのです
私は食事の豊かさは美食、グルメではないと思います。その季節、その土地で採れたものをゆっくりと噛んで味わうことにこそ食の豊かさがあるのではないかと思います。我が身我が命を養ってくれる食べ物の有難さと食の真の豊かさを取り戻すためにどうぞ食のあり方をお考えになって下さい。蜀山人言う如く、朝夕の飯と汁こそ私たちの守り本尊なのです。
賢なるかな回や。一箪の食、
一瓢の飲。回やその楽しみを改めず。
賢なるかな回や。 ~論語巻第三~
0 件のコメント:
コメントを投稿