君は君の足元を掘れ
(アプレフクシマ⑥)
アプレフクシマをどう生きるべきか。今回はその締めくくりとして表題の言葉を紹介したいと思います。この言葉、私が属している「山脈の会」という会の言葉です。「君は君の足元を掘れ。僕は僕の足元を掘る」というこの言葉は、戦後すぐに生まれたこの会が主眼とした「生活を記録する」という活動の中で生まれた名言の一つなのです。
この言葉を聴いて皆さんは何をお思いになるでしょうか。実はこの言葉と同じ意味を持つ言葉が禅語にあります。以前、このたよりでも取り上げたことがありますのでご記憶の方もおありかと思います。「照顧脚下」がそれです。照顧脚下という言葉は、転用して脱いだ履物を揃えるという意味に使われていますが、本来の意味はそうではありません。
ここに言う脚下とは自分自身です。照顧とは省察すること。つまり、自分自身を思いめぐらし自己を明らめることが照顧脚下の本来の意味です。表題の山脈の会の言葉は、奇しくもこの照顧脚下を別の言葉で言い換えたことになりますが、会の目的とするところが個々の生活の記録、自らの生活を考えるということですから生まれるべくして生まれた言葉であったのでしょう。
私たちは戦後ずっと経済の成長と物質的な豊かさを求めて過ごしてきました。その結果私たちは数十年前まで夢物語であった豊かさと便利さを手に入れることができました。携帯電話などその典型的好例でしょう。歩きながら遠くの人と話せるどころかネット検索まで出来るなんて思いもよらないことでありました。
いま、私たちはそれらをごく当たり前のものとして享受しています。しかし、それは同時にそれらの負の面をも併せ持つということです。図らずも今回の原発事故で私たちはそれを痛感させられました。覚悟すべきはそのことです。この時に当たって私たちは今一人ひとりが自分自身を考え、それぞれの生き方を模索しなければなりません。震災や津波で犠牲となった数多くのみ霊に報いるのはそのことによってではないでしょうか。
よく自分に問うてください
一度ぎりの人生を
どのように生きていくかを
~坂村真民~
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