心象風景 №96

平成23年6月17日

心象風景


    甲高きピアノの音に耳澄ます梅雨の晴れ間のけだるき真昼
    むせるよなバラの香りの廃園の梅雨昼下がりもの憂きくもり

 皆さんもある季節になったりある音楽を聴いたりした時、理由なく特定のイメージを思い描くということがあると思います。俗に心象風景と言うのがそれなのでしょうか。人それぞれでしょうが、私は梅雨時の曇り空というと必ずと言ってよいほど一つのイメージ風景を思い浮かべます。それが上の歌のような景色なのです。

 別にどうということはありません。私は洋館の建つ廃園のような庭にいるのです。蒸し暑さを覚える薄ら陽の空遠くピアノの音が聞こえます。時刻はお昼時。静かです。人の気配はありません。咲き乱れた庭の花があたりに香りを漂わせています。梅雨の合間の曇り空。何処からか遠く聴こえる甲高いピアノに私は耳を傾けています・・・。
 
 こんな個人的な心象風景を何故申し上げたかと言いますのは、心象風景というのはその人の心理、もっと言えば人生の秘密に関連しているのではないかという気がするからです。心象風景というのは夢と現実の中間にあると思いますが、夢が私たちにとってある種の意味を持っていると同じように心象風景もやはり何かの意味を持っているのだろうと思うのです。

 そう言えば、ちょうど去年の今頃、ほたるのことを書いた時、人がほたるを幻想的と思うのは魂の時代の記憶につながるからではないかと申し上げました。私は相変わらずそう思っています。今年も先日、ほたるを見に案内して頂きましたが、闇夜に明滅するほたるはやはり幻想的でした。幻想的と思うこと自体が魂の世界の記憶を立証していると思うのです。
 
 心の不思議な働きにデジャビュというのもありますね。既視体験と訳されますが、これは初めて見る景色であるはずなのに以前それを見たことがあるように感じることを言います。若い頃、私はこのデジャビュを体験して大変な衝撃を受けたことがありますが、恐らくこのデジャビュも魂の記憶と関連があるのだと思います。どうぞ皆様もご自身の心象風景や既視体験を大切にされて魂の浄化に役立たせて下さい。



 ああ かの日 ものをもたざりしゆえ
 ひかりをもちたりし日よ
           ~八木重吉~


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